ベレヤの会


第55回 パウロの宣教とローマ帝国


第55回 パウロの宣教とその後のローマ帝国
2010年1月9日
パウロのローマ伝道
  • パウロは皇帝直属部隊百人隊長ユリウスに指揮される護送隊によって、航路ローマに向かってカイザイア からシドンへ出航した。 途上、暴風に遭い、難破し、マルタ島に座礁した。この島に冬ごもりしていた船に乗船して、無事にイタリア半島に上陸し、AD62年 陸路ローマに到着した。
パウロの獄中書簡
  • パウロが2年間のローマ監禁中に書いた4つの手紙は新約聖書に収められている
  • ルカ伝、使徒言行録の著者ルカやアリスタルコもパウロと一緒にいた。他の弟子たち、テモテ、テキコ、エバフロデトなども出入りをしていた
  • パウロは「私の身に起こったことが、むしろ福音の前進に役立つようになった」(ピリピ1:12)
  • 「わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他すべての人々に知れ渡り」(ピリピ1:13)と述べている
  • パウロは、ローマにおいて「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」(28:31)
    これが、ルカの結論です。30年前にナザレ人イエスがエルサレムに姿を現して以来、イエスの十字架と復活の福音はついに世界の中心地、ローマに伝わった
パウロの殉教の死
  • パウロは、皇帝ネロの法廷に現れ、そこで主イエス・キリストを証したことは疑いない
  • 裁判が終わり、死刑を宣告されたパウロは、刑執行人の手に渡され、公開の処刑場において斬首されました。 パウロにとって、生きるにも死ぬにもキリストのため
  • 晩年のパウロに関して、いろいろな説がありますが2年後に裁判で無罪釈放され、マケドニア、エペソ、トロアス、クレテに行って伝道し、テモテTの手紙(1:3)テトスへの手紙(テトス1:5)を書いたとも言われている
  • 「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。 世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。 今や、義の栄冠を受けるばかりです。」テモテへの手紙U4:6〜8
死よ、おまえの勝利はどこにあるのか
  • ローマに『聖パウロ門』がありますが、旧名では『オスティア門』と呼ばれていました。パウロの最後の日々は謎に包まれている。 『パウロ行伝』という外典には伝説がかかれていますが証拠はない。 しかし、パウロが処刑された場所については伝承がある。オスティア門から町の外に連れ出され、小さな松の繁みがあるところでパウロは首を切り落とされたと言われています。現在は、7世紀に建てられた教会、トラピスト修道院がある
  • パウロは、イエスの12弟子ではなかったが、イエスにひたすら身を献げて、ユダヤ人を越えて、全世界の人々にキリストの福音を伝えたいという1つの目標を目指して追い求め続けた人。 老人にいたっても命をかけ、皇帝裁判という制度を使って、ローマの中心地へ行き、目的を果たし、斬首された人 今日のプロテスタント派、カトリック派ともに、パウロ神学の上にキリスト教は立て上げられていると言って過言ではない。神が選び、用いられた一人の人間像
  • パウロの祈りと彼の画いたビジョンは世界宣教として結実している。日本では矢内原忠雄(元東大総長)が戦中弾圧の中でイエスの福音に全精力を注いだ